西尾維新「零崎軋識の人間ノック」

零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス)

零崎軋識の人間ノック (講談社ノベルス)

刀語全盛の時代にコレ。時代を逆行する人間です。


なんか山田風太郎とかそのあたりの、キャラ使ってひたすら対戦バトル、みたいなそんな本です。
戯言シリーズは、バトルやって面白いシリーズか、と言われたら実のところ口ごもってしまいます。
いや、実際「ネコソギラジカル」なんかはバトルだったんですが、アレは総合的最強対スペック的最強のぶつかり合いで、もう対戦カードが出た瞬間に出オチ、カード発表時が一番どきどきした、というクラスのバトルなので、アレがバトルとして面白かったかと言われるとどうなのか。結局最終的に哲学のぶつかり合いであった気すらします。
そうでなくとも戯言シリーズのバトルは、戦術的なクレバーさよりも状況や台詞の奇抜さで勝負しているような印象があって、バトル単体で見せられてそれ面白いか? と言うと。なんというか。
奇人・変人だらけの大運動会はむしろ好きですが、それゆえに結構真面目にバトル展開をされても、「りすか」シリーズでもあるまいに戯言シリーズにそれは求めてないっつーの、と思えてしまいます。
あとは、というか究極的には、この盤上に配されたコマがそれぞれどれだけ強いか把握しきれないっていうのがありますね。キャラの強さが結構簡単にデフレ・インフレしてるような気がします。どうも「本編ではあっさり殺されたけど実はこんなに強かったんだヨ」とかやられることが多い気がしますが、「うむ、戯言シリーズだな」と納得はできてもバトルものとしてはもにょらざるを得ない。確固たる物差しがないので、カタルシスを得切れない。
ここまで書いたところで思った。自分の考え方がカタいだけかもしれない。
零崎は殺気には強いが殺気が感じられなければ反応できない、とか、部分部分の提示条件を抜き出せばそれなりに面白いのですが。


あとは書き下ろしの人類最強+<街>エピソードですが、これが書き下ろしってことは、ええと。
ファウスト掲載時においてはこの話のどのへんが「零崎軋識の人間ノック」なんだ…? 主役は完全に人識じゃないか。まあいいか。