筒井康隆「ヨッパ谷への降下」

ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集 (新潮文庫)

ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集 (新潮文庫)

朱女が八畳の間にいる。巣を背にしていてまるで彫刻のようだ。今日は文化の日だったかな。
「何もかもを失ったように思っていたんだけど雨が降ったりした日は君が本当に好きなんだよ」
<ヨッパ谷の中にて 朱女と主人公>

筒井康隆の自選ファンタジー短編集。と、実はサブタイトルにも書いてあることをわざわざ復唱してみる。
考えてみれば、筒井康隆ファンタジー小説は読んだことがないような気がします。*1傑物・筒井御大のファンタジー小説とはどのようなものか。


もったいぶらずに結論を言うと、面白いと思いました。


優れたファンタジー*2はオチがなくても十分おもしろい。文章の隙間を漂うだけで心地良い。
隅から隅まで構築された世界でなくても、短い説明だけで十分に想像力が働く。そしてその短い説明にすら、特に正体を与えられる必要はない。
今更筒井に感動させられるとは思いませんでした。まったく。

  • 『薬菜飯店』

汚物とうまいもののコラボレーションやー。すごいな、うまいものを食べながら汚物を出しまくるという状況が。

  • 『法子と霊界』

中国説話のような話。短い掌編が何本か入って一本の短編になってる感じ。

  • 『エロチック街道』

エロいというか、やや古めかしい言い方でエロチック。裸の女との道行き。森博嗣が森100で上げていたことが印象深く、「あ、これか」と思いましたが、それはあまり関係がない。

  • 『箪笥』

エロいというならこっちの方がエロい。次々にエロアイテムの出てくるロココ調箪笥の話。

  • 『タマゴアゲハのいる里』

うまそうだけどプチグロい話。うまそう、という感覚と、グロい、という感覚が両立するためには、うまさを強調し、グロ部分を淡々と描くことなのかもしれない、と思いました。食欲はグロテスクさの前には縮退しがちですからね。

  • 『九死虫』

九回までなら死んでも復活できる虫の話。これは何だか強烈に筒井っぽいと思いました。どういうところが、と聞かれても困る。

  • 『秒読み』

最後のオチがほんっとうに地味にクレバーだと思いました。

  • 『北極王』

子供が北極王の家に遊びに行く話。別にどこでもいいんですが、「北極」である点がなんか重要なんでしょう。オセアニアを通るより、ロシアを通った方が、より『とんでもなさ』を感じるといえばそうだ。

  • 『あの二人様子が変』

『箪笥』とどっちがエロいのかは人によるかもしれません。相思相愛の二人が事に至ろうとするたびに邪魔の入る話。一歩間違えばコント、それも間違えそうな部分の方が多い。最後の主人公のつぶやき『これであと三十年、佐登子とすることはできなくなってしまったのだ』に、強烈なセクシーさを感じました。

  • 『東京幻視』

高貴でありモダアンなものへの憧憬と昇華。実物を見ず、空想だけで幻想を充足するための心象風景は非常に美しい。

  • 『家』

で、屍体ってなんなんだ? こればかりが強烈に気になる。ああっ、もう! 家って、「千と千尋の神隠し」に出てくる湯屋みたいなとこなのかな。

  • 『ヨッパ谷への降下』

表題作。言葉遊びですらない言葉遊び。わけがわかりませんが、わけがわからなくても楽しめる。

*1:SFやブラックユーモアやミステリなら読んだことがあるが

*2:この『ファンタジー』は不条理ものや夢ものを包含する方向で

北村薫「リセット」

リセット (新潮文庫)

リセット (新潮文庫)

「時と人」シリーズ三作目。
スキップが「跳躍」、ターンが「繰り返し」、とすると今回は「経過」とも言うべきでしょうか。「リセット」というタイトルに合わせると、「経過と忘却と再生」といったところですかね。なんか違う気もしますが。


さて、本作は、結論から言えば私の好みではありませんでした。
スキップやターンにおける、過酷な時の悪戯と言いますか、一歩間違えばホラーと言いますか、いわゆる『デキの悪い悪夢』とすべき状況を、北村的主人公が北村的穏やかさで前向きに乗り切って行こうとするところに私は面白みを感じていました。
しかし本作、宮部みゆきが文庫版対談で表現しているように、時間が優しすぎるのです。
登場人物が比較的多めなので、足下に穴が開いたキャラもいますし、悪夢を見たキャラもいますが、総じて何といいますか、時代に弄ばれても時間そのものに弄ばれたキャラは存在しない。
スキップやターンのようなSF的理不尽さに嘆いてほしいな、と思う私はやっぱり若造でしょうか。
『いきなり40歳になっちゃったら怖いよな』とか『同じ日がぐるぐる回るなんてすごい怖いよな』とか思ってしまう以上。時と人は、そんな怖い状況下で妙に生活感たっぷりの達観をしてしまうキャラがすごいシリーズだと思っていたので。

原田宗典「はたらく青年」

はたらく青年 (角川文庫)

はたらく青年 (角川文庫)

原田宗典の学生時代のバイト遍歴を綴ったエッセイ。
父親がギャンブルで破滅して、家に借金取りが来たり、学生時代はバイト代のみで生活していたことなど、いかにも原田的オモロ文体で茶化してるけど、相当辛かったんじゃねえかな、と思うとシミジミします。
時給四百円でそこそこいい給料、とか、エロ本の配達とか、なんだか時代を感じるエピソードも多いですね。エロ本の配達はもしかすると今でもあるかもしれませんが。しかしエロ本の自販機はもう見なくなって久しいです。
オモロ感だけで言うなら正直、バイト時のオモシロエピソードよりも、大学時代に書いた「技巧に走りすぎてカッコつけた文章ではあるがとにかくオモロクない」小説を発掘してうひょー、と恥ずかしがってるエピソードの方が面白かったです。
ええと……、
刺すような痛みを感じるというか。
若い頃ってそういうもんですよね。いや、原田さんと私じゃ比べモンにならんのですが。

恩田陸「光の帝国」

光の帝国 常野物語 (集英社文庫)

光の帝国 常野物語 (集英社文庫)

やがては風が吹き始め、花が実をつけるのと同じように、そういうふうにずっとずっと前から決まっている決まりなのだ。僕たちは、草に頬ずりし、風に髪をまかせ、くだものをもいで食べ、星と夜明けを夢見ながらこの世界で暮らそう。そして、いつかこのまばゆい光の生まれたところに、みんなで手をつないで帰ろう。
<祈りの文句 健の考案による>

異能の一族をめぐるオムニバス短編集。
結局「光の帝国」の光とは何なのか、「光の帝国」から流れた「国道を降りて…」で、彼らは本当に光にたどり着けたのか、安心していいのか、いいなら安心するぞ。
「不思議で結局なんなのかよく解らない薄ら寒い怖さ」恩田陸節小爆発といったところ。
私は恩田さんの持ち味である、結局正体の判然としない都市伝説のような怖さが大好きなので、本作もおいしく戴きました。
と言いたいところですが、何というか、「本編があって、その登場人物のサイドストーリーを読まされてる感じ」はぬぐいがたいですね。
「図書館の海」を単独で読んだ時の感じ。
優しい話もあれば不思議な話もあり、ちょいと怖い話もあり、「図書館の海」よりはそれぞれちゃんと完結している感じもするので、興味がおありならば読んでみても悪くない。*1


追記
「蒲公英草紙」というタイトルで2が、「エンド・ゲーム」というタイトルで続編や傍流が出ているんですね。
なんというジュニア小説っぽさ。

*1:何様か

東野圭吾「容疑者Xの献身」

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

「凡人が隠蔽工作をやろうとすると、その複雑さゆえに墓穴を掘る。ところが天才はそんなことはしない。極めて単純な、だけど常人には思いつかない、常人なら絶対に選ばない方法を選ぶことで、問題を一気に複雑化させる」
<天才対天才、P≠NP問題と偽装工作について 湯川>

電車の中で泣きました。
と月並みな事を書きますが本当だ。
ミステリジャンルとしては倒述ですが、対する相手がかの湯川教授ですので、加賀刑事ものと同じくらいお約束に、犯人サイドの敗北は決定的なわけですが…。
勝負の流れも敗北の有様も、こりゃすごい。
私はこのミス1位をなめてかかる傾向にあるのですが、東野さんが一位を取るのなら、それは名作に違いなかったし、結論を言えば名作でした。
天才・石神が二重・三重に張った罠は、単純解を要求される類のミステリの応用問題として非常に面白い。長編らしい意表をつく思考パズルだったと思います。
結局、読者たる私は靖子の視点しか持ち得なかったのだなあ、と思うと気持ちいい。
最後に取った石神渾身のリスクヘッジがまた*1切ない。そりゃもう美里だって耐えられないですよ。
天才が一旦人を愛したらちょっとすげえぞ。底なしだからな。みたいな部分に相当萌えました。


それはそれとして、泣き部分。
靖子が最後に取った選択は、私のような読者的にはとてもスッキリするものですが、石神にとっては絶望的なものであり、この主役と読者の温度差がまた泣ける。
あそこまで冷徹に計算せしめた人間が、最後の最後、靖子の人間味を計算できなかったところも悲しい。
どうせ探偵役のお節介によってご破算になりますけど、彼女たちに嘘をつかせてそこからボロを出したくないのであれば、いっそのこと本当に靖子母子にもストーカーと思いこませておくくらいの先回りっぷりを見せてほしかった。
そんなことをしたら、靖子の読者人気は地に落ちそうですが、それはメタいことなので置いておきます。

*1:想像できていたこととはいえ

マイケル・マローン「最終法廷」

最終法廷〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

最終法廷〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

最終法廷〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

最終法廷〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

「権力者のもつれ合った貪欲と、誤てる個人的、政治的忠誠心を隠蔽するための、おぞましい工作の犠牲にならずに済む権利を! 貧しい黒人であるがゆえに、お座なりに、さっさと裁かれるなどという目に遭わずに済む権利を。正当防衛で黒人を射殺した白人なら告発さえされないであろうのに、同じ正当防衛で白人を射殺したために死刑を宣告されるなどということにならずに済む権利を。平等に取り扱われる権利を。人から奪うことのできない、その権利こそ、あなた方陪審員が守っている、真の輝くべき灯火なのです!」
<弁護側最終弁論 アイザック・ローズソーン>

法廷、捜査、アクション、ロマンスとエンタメコード満載ですが、アメリカ人種問題を根底に据えた硬派な作り。あと翻訳がやや固め。でも私は翻訳はやや固めのアルデンテが好きです。
ああ、でもやはり基本はエンタメ小説ですね。
法廷部分にしろアクション部分にしろ、元から悪役が解りきっているし、主人公が全てを、とりわけ自分を憎んで自殺するとかいうノワール展開もまずありえないノリですので、読んでいて安心感があります。
人質を取られたりするシーンはお約束ながらドキドキしますし、言ってみれば決戦シーンにあんなもので駆けつけた主人公の親友には度肝を抜かれたりと、要所要所で驚かせてくれる良質のエンタテイメント。
法廷でも、弁護人が陪審忌避シーンでクレバーなところを見せてくれたり、重要証人がアクシデントで死人に口なしになってしまったりと小技が効いています。
上巻は事件の説明と捜査に終始して、微妙に退屈ですが、下巻から転がり落ちるようなリーダビリティ。
駒は大体揃った。さあゲーム開始だ。なんてシーンはどうしてこんなに興奮するんでしょうか。私がゲーム好きだからか。